古典作品で得たお気に入りの表現
・御腹召しませ
ご切腹なさいませ。「切腹」が尊い死に方とされた時代だからこそ表現に思える。
たいへん丁寧な言葉遣いだけれども、意味するところは「死ね」なので、人を敬う心が良い塩梅に行方不明である。慇懃と無礼がまろやかに溶け合った、上品かつ空虚な響きに心を掴まれた。
・驚殺(おど)し
「殺」の文字は「驚し」の意味を強めるための接尾辞らしい。
なんと、ただ動詞を強調するためだけに物騒な「殺」の文字を加えている。しかも、発音しない。もはやYOUTUBEで目にしなくなったこの文字も、江戸時代ならカジュアルに乱発されていたのだろう。戦国の世が抜けきらぬバイオレンスな筆致に、おれの前頭葉の米騒動が収まらない。
ぜひぜひ現代でも『気合を入れて学殺(まな)ぶ』『ぐっすり眠殺(ねむ)る』『体を入念に洗殺(あら)う』みたいな感じで使いたいと思う。
・夷心(えびすごころ)
野蛮で荒々しい心。ヨーロッパで言うところのバーバリアンな心。
類義表現の「野蛮な心」「下劣な心」「猟奇的な心」と比べると、「えびすごころ」はだいぶフラットな響きなので汎用性がありそう。2022年に英国で流行った「ゴブリン・モード」みたいな感覚で使ってゆきたい。
その火炎放射器の豊かな火力に、私の夷心がひょっこり顔を出しました。
新たに生まれた悶茂村ロア
【双子地蔵の怪】
ある家の畜生なお坊ちゃんが、夏休みを費やして不平等実験を試しました。
双子のお地蔵さまに毎日お供え物をするにあたり、
片方には豪華なものを、もう片方には貧相なものを、ひたすら捧げ続けるのです。
左に獲れ立ての川魚を置いた日は、右に吸い尽くされた酢昆布を置き、
左に脂の乗った焼き猪肉を置いた日は、右に舐め切られたポッキーを置く・・・。
お坊ちゃんは、得られたご利益を自由研究ノートへと具に記録しておりました。
夏休み最終日、左に有名和菓子屋の大福を置き、右に粉々になった柿の種を置いたところで―――爆音が鳴り響きました―――驚くべき事に、右の地蔵の首元が炸裂し、頭部が勢いよく射出され―――お坊ちゃんの口腔内に着弾したのです。
お坊ちゃんはそのまま窒息死なさいました。
その後、悶茂村の住民がお坊ちゃんの身体を正確に二等分し、双子地蔵にお供えしたところ、次の日にはお供え物は消えており、右側のお地蔵様の頭部が元通りになっていたといいます。
(つぶやき廃棄所)
『猫オルガン/Cat Organ』は、架空の楽器の1つで、数匹の猫が地声の高さで並べられており、それぞれの尻尾が鍵盤の下に接続されている。 鍵盤を叩くことで、対応する猫がミャオミャオ鳴き、奇妙な音楽を奏でられるという。無理だと思う。
『ちょっかい』は、元々「猫が前足で何か物を掻き寄せる」行為を指していた。
『疑存島(ぎそんとう)/Phantom Islands』は、歴史上のある時期までは地図に記録されていたが、後々の調査で存在が否定された島のこと。誤った計測や不確かな口伝などで生まれる。
『旅路』のうち、 「冒険」は危険を冒(おか)すことから"ハイリスクさ"を強調した表現で、 「探検」は探して検(しら)べることから"未知との遭遇"を強調した表現
『ブラキストン線/Blakiston Line』とは、津軽海峡に位置する生物分布の境界のこと。 イギリスの生物学者のトーマス・ブラキストンが提唱した。 数万年前に本州と北海道が分離したことで、生物の行き来が無くなった。 ヒグマはブラキストン線より北にしか居ない