変な古文を書いて送り、赤斑さんに添削コメントを頂いて、赤斑さんから謎の文章を引き出す試みでありました。
助動詞「る・らる」を用ひし短文を書き連ねたり。 赤斑様へこそ奉らめ。
・少納言を七つくだされば、大納言ひとつ渡さるべし
・子猿に叩かるる翁を眺む年の暮
・「食べられよ」と差し出されし餅をすぐさま埋めたり
・なんとなく墓をあばかるる心地あり
・屈強なる僧、悪性の触手にたいそう弄ばれたり
赤斑さん「添削依頼があったため以下に」
◎少納言を七つくだされば、大納言ひとつ渡さるべし
この文は誰かの発話だと思われ、自分に尊敬は使わないため「渡さる」の「る」は不要。ただし発話者が天皇レベルの高位の場合は自尊敬語として認められる。
納言級のレートを扱える存在の点からこちらが妥当か。
だがそうなると今度は「くださらば」を謙譲に変える必要がある。
【修】少納言を七つくだされば、大納言ひとつ渡すべし/少納言を七つ奉らば、大納言ひとつ渡さるべし
【感想】「納言級のレートを扱える」という、大臣クラス以上の存在を言外に捉え、自尊敬語の可能性を見逃さない。恐ろしい読解力である。当然、僕は自尊敬語なんぞ忘却の彼方であり、まさかこんなに考察されるなぞ露ほど思わなかった。ああ恥ずかしや、そんな慧眼(め)で見ないでおくれ。
◎子猿に叩かるる翁を眺む年の暮
文法的におかしい所が何もないが、文章的におかしすぎる。
ゼラさん作猟奇歌「旅人を怪光線で焼いてみる 水を乞われてもう一度焼く」を彷彿とさせるサイコパス古文。五七五に整えて俳句にしても良いかと。
【修】なし
【感想】「サイコパス古文」という謎分類を頂いた。この分類、なかなか汎用性が高いように思える。古典作品には猟奇じみた解釈が出来るものが多い気がする。今後、サイコパス古文を集取するのも良いかもしれない。
◎「食べられよ」と差し出されし餅をすぐさま埋めたり
「すぐさま」に違和感を覚えて調べると、「ただちに」の意は江戸中期の用例が最古らしい。平安鎌倉調の学校古文なら「やがて」あたりか。
尊敬と受身を両方使っているのが素晴らしい。
【修】「食べられよ」と差し出されし餅をやがて埋めたり
【感想】何故か褒められて戸惑ってしまう。でも、助動詞「る」「らる」の扱いに自身が付いてきたぞ。吾、蒙昧の山を登りし増長大納言なり。
◎なんとなく墓をあばかるる心地あり
自発は無意識の行為を指し、上に知覚動詞か心情語が来るのが通例。「あばく」に自発が付く所に狂気と妙味を感じるのとともにいつものゼラさんだなあと実家のような安心感を抱いた。※追記:「なんとなく」は新しめの表現、「なにとはなし」の方が良い
【修】なにとはなしに墓をあばかるる心地あり
【感想】考えてみれば、墓を暴く行為が習慣化していないと成立しない文章である。
最近は、積極的に医療の世界史に触れていたので、現代医療の父にして墓堀り達人である「ジョン・ハンター」の霊魂が筆致へ宿ってしまったに違いない。
不思議なことも、あることだなあ。
◎屈強なる僧、悪性の触手にたいそう弄ばれたり
「たいそう」も江戸初期頃からの語。いたくあたりか。
シチュエーションはあまり思い浮かべたくない。
【修】屈強なる僧、悪性の触手にいたく弄ばれたり
【感想】弄ばれる僧侶って多いと思う
(つぶやき廃棄所)
『蚊トンボ』とは、「ガガンボ」の別名 ガガンボは、蚊をでかくしたような虫で恐ろしく体が脆い。蚊とは違い、血液を吸ったりせず、花の蜜を主食としている 優しくしてあげて
『王の病』とは、「結核性頸部リンパ節炎」の昔の名称で、中世〜近代の英・仏においては、「国王の手に触れる事」のみが唯一の治療法と考えられていた もちろんプラシーボ効果以上は期待出来ないが、王家の神秘性を高めるのに度々利用され、王の支持率が落ちると、王は国民を触りまくったという
『SIREN(無印)』には高速移動バグがあり、メニュー画面ボタンを連打する事で、羽生蛇村を度を超えた速度で駆け抜けられる。
『キンギョソウ(金魚草)』は、名前通り金魚のような美しい花を咲かせるが、花が落ちた後、残った種子は髑髏そのもの。こわい。
「わだかまる(蟠る)」の語源は「蛇がとぐろを巻いている様子」
『にょろり』はサボテンの異名。「覇王樹」ともいう。 ギャップがすごい。