友人:古事記良いよ!
自分:読むわ!
最近、ゲームと本で選び方が異なる事に気づいた。
ゲームソフト選びの際は、モノすごい美食家かぶれであるのに対し、本を選ぶ際は、雑食の傾向にある。PSストアのおススメ作品を見て「かようなゲームは朕の口に合わぬぞよ」と焚ゲーする貴族的一面のかたわら、「コジキ・シラナイ・オレ・ヨム!ドンドン(群れの皆に読書の意を伝えるドラミング音)」という森の中の一面が共存している。
自分の中で、”読書”は日単位・週単位を消費する高頻度・低負担の「軽い趣味」であり、”ゲーム”は月単位を消費する低頻度・高負担の「重い趣味」にあたるので、この重さの差が選定基準に現れている。
このスタンスの差から、自分は本を、ゲーム程に本気でしゃぶり尽くしていないという自覚があり、常々もったいないと思っていた。
そこで、読書の丁寧さをあげるべく、最近はノートを付けながら本を読んでいる。読むのは遅くなるが、理解が早まる。まさしく心のバケットホイールエクスカベーターよ。ノートのおかげで、知らない単語が高密度で出現する書籍を楽に掘り進められるようになったので、先月位から苦手だった歴史系の書籍にも手を出している。
読める読める。地図の世界史、作物の世界史、トラクターの世界史・・・どれも濃厚な読書体験だった。これは進歩にちがいない。脳内読書原人はついに火を得た。これまで食べると毒、あるいは消化に時間がかかっていたモノも、火を通す事によって、吸収効率の高い食事へと変貌を遂げる。とてもよい。
『なんでも食べてやるぜ。どんとこいよ・・・』ドンドン(己を鼓舞するドラミング)
そこへ投げられたのが古事記だった。学んだね、ノートに書く弊害を。
最近、薄々きづいてたけれども、この世にはビュティさんの居ないボーボボが結構多い。古事記もその一つで、爆弾を食べさせられ爆死したキングドドンゴ的読書体験だった。 感想を書くにはもうちょっと消化時間がいりそう。
(つぶやき廃棄所)
『父の日』はアメリカ発祥の祝日。1909年、ソノラ・スマート・ドッドさんが父親の誕生日に礼拝を頼んだのがきっかけ。「母の日」があるならば、父親にも感謝する日が必要だと考えたらしい。 さらに遡れば、1908年のモノンガー鉱山の爆発事故の際に、一度、同様の礼拝が催されたとのこと。/
『チェスボクシング』とは、1992年から始まった知的格闘技である。ボクシングで闘うラウンドと、チェスで闘うラウンドを交互に繰り返すという、パワー&インテリジェンスのバトルである。/
「ルビ(読み仮名)を振る」の『ルビ』とは、宝石の「ルビー/Ruby」が由来。活版印刷術が広まった当時、イギリスではフォントサイズに宝石の名を付けていた。読み仮名用の5.5ポイントサイズがルビーにあたる。/
『100万ドルの夜景』の100万ドルは一月あたりの電気代/
花火が打ち上がる際の『ヒュー』という笛みたいな音は、マジで花火玉につけられた笛から鳴っている。/
『ハンロンの剃刀』は、「世の中の事件の多くは何者かの"無能"によるものであり、そこに"悪意"を見出すべきではない」と戒めるネットミーム(心理学用語?)である。 誰かの大失敗を陰謀論に仕立て上げてはいけない。/